内田裕也 プロフィール
内田裕也 属性プロフィール
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内田裕也 プロフィール概要内田 裕也(うちだ ゆうや、本名:内田雄也、1939年11月17日 - )は日本のミュージシャン(ロックンローラー)、俳優である。夫人は女優の樹木希林。娘は元タレントの内田也哉子。也哉子と結婚した本木雅弘は娘婿にあたる。兵庫県西宮市出身。1959年に日劇「ウェスタン・カーニバル」にてデビュー。当時隆盛を誇っていたグループ・サウンズ・「内田裕也とフラワーズ」での活動などを経て、1970年代後半からは俳優としても活躍。以降、映画などへの出演・監督も行う。映画『コミック雑誌なんかいらない!』や『エロティックな関係』などでは脚本も担当した。口癖は「ロックンロール」(Rock'n Roll。“ロッケンロール”、もしくは“ロケンロー”とも記述)
内田裕也 プロフィール詳細
エピソード
芸にも音楽にも厳しく、リハーサルで機材へクレームをつけるレイ・チャールズを殴ったり、ルー・リードに「日本人をナメるな」と啖呵を切ったり、「鏡に映った自分の顔が笑っていた」のが腹が立って鏡張りのホテルの部屋を破壊して拳を血まみれにするなど、その類のエピソードには事欠かない。オノ・ヨーコから「マリファナ吸って、酒飲んで、女とばっか。そんな事が本物のロックだと思ったら大間違いだ」と説教され、「あんたたちが俺たちに教えて来たことじゃないか」と憤慨したものの、それがきっかけで映画を作るようになったとインタビューで語っている。1991年に東京都知事に立候補、選挙活動を行ったことがある。その際に政見放送で延々ロックソングをアカペラ(「パワー・トゥ・ザ・ピープル」、「コミック雑誌なんかいらない」など)を歌い、英語で主張を演説した。選挙公報は「NANKA変だなぁ! キケンするならROCKにヨロシク! Love&Peace Tokyo」とだけ手書きでかかれた物だった。マスコミへのアピール時に政策をフリップ(放送用の手書きボード)に書き込む事を求められた際、「GOMISHUSHUSHA NO TAIGUU O KAIZEN SURU」(ゴミ収集者の待遇を改善する)と、所々綴りが誤記されたローマ字で政策を書いた。以上、数々の伝説的エピソードを構築する(彼は基本的に記述の際にはローマ字を多用する傾向がある。これは一説には漢字が苦手だからという話があるが、真偽は不明)。この模様は映画『魚からダイオキシン!!』にて一部垣間見る事が出来る。結果、無所属(政党推薦候補除く)ではトップの票を獲得。しかしメディアからは「売名出馬の泡沫候補」と批判されることもあった。タレント・グッチ裕三が彼のものまねをする際にしきりに「シェケナベイビー」(Shake it up Baby)と言っているが、これは彼がカバーしたロックンロールの名曲「ツイスト・アンド・シャウト」を歌う様子を表現したものである。
人物
初期はロカビリー歌手であり、大手芸能事務所である渡辺プロダクションに所属していた。1960年代半ばは寺内タケシとブルージーンズなどで歌手活動を行っており、映画『エレキの若大将』(1965年、主演・加山雄三)に端役で出演しているのは有名(司会者役)。「レディース&ジェントルメン、マイ・ネーム・イズ・ショーン・コネリー...なんてなことを言っちゃったりして。」、「シャークス...シャーク(癪)な名前ですね」というジョークを交えた軽妙なセリフと演技が面白い。1960年代後半、ベンチャーズやビートルズの影響で日本にグループサウンズブームが起こると、自らも更にロック色を強めた活動に転換。ビートルズ来日公演(武道館)では、尾藤イサオとダブルボーカルを組み、バックバンドにはブルーコメッツを従え前座を行う。また京都で活動していたザ・タイガース(沢田研二などが所属し、当時はファニーズ)をスカウトし渡辺プロに所属させ、東京に引き連れ、新宿ACBにて内田裕也とザ・タイダーズとして東京デビューさせるなど、芸能界の裏面で有形無形の活動を行い、広く人脈を築く。当時の音楽活動としては、麻生レミをヴォーカルとしてフラワーズを結成し、新宿のジャズ喫茶でのライヴ活動を展開(横尾忠則の世界初のピクチャーレコードに一部収録あり)し、麻生レミはジャニス・ジョップリンのコピーを中心として一世風靡する。その後、ボーカルにジョー山中、リードギターにスリーファンキーズに最後に加入した石間秀樹を石間が率いていたビーバーズから迎え、フラワー・トラベリン・バンドを結成し、1960年代末から1970年代初めにかけて、日本のロックシーンをリードする存在(いかなるバンドでも、ソロでも“おはこ”は”ルート66”のみ)の一人だった。ただし自虐ギャグ(自虐ネタ)にもなっているとおり、自らにはヒット曲と言えるものはない。知名度はありながら必ずしも経済的に恵まれた状況ではないと言われるが、それを特に隠さないことでも知られる。以降、日本のロックの首領(ドン)(出身地の関西では「関西のロック界の首領(ドン)」と称される)と見なされる存在。安岡力也、ジョー山中、白竜、宇崎竜童などと徒党を組む。CHARと金子マリが在籍していたスモーキー・メディスンを自らが主催するイベントに誘ったとき、「出てもいいけど俺たちアンプ持ってねぇよ」と返答され、彼らの目前で樹木と沢田研二に電話をかけ「わかった。俺がアンプを買ってやる」と彼らに機材をプレゼントした。「SWITCH」誌(ロッキンオン社)にて、本木も含む家族全員の記念写真が掲載される。孫の七五三を報じるワイドショーでは、裕也は不在だったものの一家の祝い事を撮影するジョー山中の姿が全国にオンエアされた。1973年より、年越しロックイベントニューイヤー・ロック・フェスティバルを毎年開催。日本のみならず、2004年から上海、2005年よりソウルと現在では三カ国で同時開催されている。安岡力也、ジョー山中、HIRO(RISINGSUN)、桑名正博、シーナ&ザ・ロケッツ、宇崎竜童、白竜、本木雅弘、THE NEWSなどがほぼ毎年参加しているほか、ビートたけし、原田芳雄、沢田研二が準レギュラー。過去にはRCサクセション、アナーキー、ルースターズ、ザ・ロッカーズ、PANTA、BOWY、RATS & STAR、スターリン、松田優作、JAGATARAなどが参加したこともある。その他、ワンステップ・フェスティバルやワールドロック・フェスティバルを主催。ジェフ・ベックやニューヨーク・ドールズなどを来日させた。ミュージシャンとしての氏の功績は後年、余り目立たない。当人もオリジナル楽曲の制作に関心が薄いと公言している。「日本人はカヴァーをやればいい」という姿勢を一貫させている。しかしミュージシャンとしての才能は意外な所で評価が高く、どれだけ酔っ払った状態で(飛び入りで)歌い出したとしてもそのバックバンドのミスでも敏感に反応し、演奏終了後に厳しく指摘する等、鋭く繊細な感性を持ち合わせている人物とされる。海外アーティストの招聘と来日公演にのみ労力を注ぎ、国内のアーティストに目を向けようとしないという理由で、包丁を手にウドー音楽事務所に押し入り暴れるなど、何度か警察ざたになるトラブルを起こしている。「義憤にかられてのこと」「酒に酔った勢い」といった理解ある見方も存在するものの、多くのトラブルが自作映画の公開などとほぼ同時期に起きているため、「一種の売名・宣伝では?」という声も少なからず存在する。映画俳優としても活躍し、神代辰巳監督の「嗚呼!おんなたち 猥歌」では、本人のキャラクターそのままの危ない歌手役を熱演。また、「コミック雑誌なんかいらない!」「魚からダイオキシン!!」では脚本・主演を兼ね、いずれも衝撃的な怪作として評判となった。内田はお笑い芸人との仕事も多く、ビートたけしとは映画『コミック雑誌なんかいらない』『エロティックな関係』などで共演。撮影現場で数々の逸話を残し、たけしに多くのネタを提供した。またダウンタウンの松本人志にも注目し、1992年に放送されたダウンタウンの特番に出演。収録現場に現れた内田は「おい、しりとりをやろう!」といきなり言い出し、急遽松本とのしりとり対決が収録される事になった。これに飽き足らなくなった内田はさらに「おい、今から原宿を走ろう!」とこれまた突然言い出し、クリスマスムードににぎわう原宿の中を、松本が内田を追いかけながらしりとりを行うという訳の分からない企画に発展。松本と多くの視聴者を困惑させた。
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内田裕也「コミック雑誌なんかいらない」
内田裕也 - ジョニー・B.グッド [2004年、ジョー山中ライヴのゲスト]
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